新年明けましておめでとうございます。
(株)ナカタの診断士 三井です。
年末年始の休みを利用しまして、広島県広島市中区にある原爆ドームに行ってきました。
原爆ドームの名で知られる広島平和記念碑は、日本の広島市に投下された原子爆弾の惨禍を今に伝える記念碑(被爆建造物)元々は広島県の様々な物産を展示するための広島県物産陳列館として開館され、原爆投下当時は広島県産業奨励館と呼ばれています。ユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されており、「二度と同じような悲劇が起こらないように」との戒めや願いをこめて、特に負の世界遺産と呼ばれています。
被爆前
被爆後
1945年(昭和20年)8月6日午前8時15分、日本の広島市に、原子爆弾が投下されました。
市内ほぼ中央に位置するT字形の相生橋が目標点とされ、投下された原爆は上空600メートルで炸裂しました。
爆発に伴って熱線と放射線、周囲の大気が瞬間的に膨張して強烈な爆風と衝撃波を巻き起こし、その爆風の風速は音速を超えました。爆発の光線と衝撃波から広島などでは原子爆弾をピカドンと呼んでます。
爆心地付近は鉄やガラスも蒸発するほどの高熱に晒され、強烈な熱線により屋外にいた人は全身の皮膚が炭化し、内臓組織に至るまで高熱で水分が蒸発していった。苦悶の姿態の形状を示す「水気の無い黒焦げの遺骸」が道路などに大量に残されました。
また、3.5km離れた場所でも素肌に直接熱線を浴びた人は火傷を負った。爆風と衝撃波も被害甚大で爆心地から2kmの範囲で(木造家屋を含む)建物のほとんど全てが吹き飛びました。
爆発による直接的な放射線被曝のほかに、広島市の北西部に降った「黒い雨」などの放射性降下物による被曝被害も発生。また、投下後に救援や捜索活動のために市内に入った人に急性障害が多発した(二次被害)当時の広島市の人口は約34万人。爆心地から1.2kmの範囲では当日中に50%の人が死亡し、同年12月末までに更に14万人が死亡したと推定されてます。
初めて原爆ドームに足を運んで改めて思ったことは、原子爆弾の怖さです。原子爆弾の投下で、14万人という命が一瞬で失われてしまいました。世界には現在、核兵器を保有している国が、8か国(アメリカ、ロシア、イギリス、フランス、中国、北朝鮮、インド、パキスタン)保有してます。
世界が核兵器を持たない。2度と同じ悲劇が起こらないように願いたいです。
夜になるとライトアップされてます。
最後に広島名物広島焼きを食べました。
豚肉、いか、エビ、卵、中華麺が入ってまして、中華麺がパリパリして、ソースが甘くてめちゃめちゃ美味しいかったです。
是非、皆さんも広島に行ってみてください。自分は、いい経験ができました。
今年もいい年になりますように!!!